スケート靴を脱ぐまえに

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宮沢理一は本当に何も知らなかったのか~月下燦然ノ星 THE MOVIE感想

月下燦然ノ星 The MOVIE(16/10/05.19:20~)

 
出演:樋口夢祈、鷲尾修斗、校條拳太朗、谷佳樹、ほか(敬称略)
演劇ユニット「GEKIIKE」第7回本公演『月下燦然ノ星‐帝都綺譚‐』のスピンオフ映画化作品。下北沢トリウッドにて10月1日~7日まで上映。
 
 

■上映期間はとっくに終わりましたので今更ですが、DVDが出ている舞台版合わせてのネタバレを含みます。

 感想というか、備忘録(もうかなり記憶があいまいですが)というか、考察というか、妄想というか…というジャンル分けしづらい内容となりますので建設的なレポ面はご期待なさらないほうが賢明かもしれません~!

  上映情報詳細が公開されてまずお蔵入りじゃなかったことを純粋に喜びました。2016年初夏公開という触れ込みだったので、5月が終わってあっというまに8月を迎えた時のあの言いようのない焦燥感といったら……!(笑) 8月は初夏に入るかという議論をしたのもいい思い出です。

 

eiga.com

 あらすじは本公演公式サイト*1より引用します。だいたい映画も以下の内容でした。 

時は大正末期。戦争の煽りを受け世間は好景気に沸いていた。   

関東大震災の傷痕も癒えつつある帝都・東京では、大劇場が建ち、華やかな少女歌劇団が人気を博していた。

しかし、そんな復興ムードは一瞬の出来事だった。戦争バブルは泡と消え、戦後の大不況が日本を襲う。政府は軍縮を決定し、 軍人たちは「税金泥棒」と呼ばれ、行き場をなくしていく。 

ある日、都会の片隅に幕を開けた歌劇があった。  世間の流行とは真逆の、男性だけで構成されたその歌劇は、「軍の印象を良くする為」という名目で作られた特別部署、 軍人による歌劇団だった。

軍には立派な軍楽隊があるのに、何故今さら歌劇団なのか?その裏にある本当の目的とは…。

これは、強く生きる為に戦う男たちの物語。

そして今宵も、幕が上がる―。

 前述のとおり上映期間は終了していて、DVDの発売も未定ということなので、完全に映画を観た人・もしくは舞台を観た人向けの文章になります。

 この映画と舞台両方を比較して、内容が凄く違うかというとそうではなく、スピンオフというより視点を変えた前日譚と言ったほうが正しいかもしれませんね(アツい手のひら返し)。

 

 本公演では、校條さん演じる三浦くんがどこからどう見ても主人公で、何も知らない彼がこの歌劇団に入り、持ち前のまっすぐさゆえにそれまで保たれていた硝子の均衡と閉ざされた秘密を揺るがして、その秘密を抱える者のための船に乗り、結局は歌劇団の事実上のクーデター成功につながる、という話でした。

 一方この映画は、三浦くん入団よりもかなり前、彼が入団した時には支配人として君臨していた西条(演・樋口さん)が初期メンバーの5人目として入団するところから始まります。ラストは舞台版とほぼ同じクーデター成功に合わせられていたので、後日譚はありません歌劇団設立の具体的な裏側と、掘り下げられた何人かの側面がよく見えるようになったな、という印象でした。

 逆に本公演比較的メイン組(三浦佐伯近衛など・一条除く)は結構サイドキャラ寄りで、大筋はほぼ一緒でもかなり面白く見られたのはそういう面がいい方に影響したかなという感じですね。

 映画での新キャラとしては、スギちゃん少将や上層部の皆さんはよしとして、特筆すべきところは西条の旧友の近藤、いろいろと協力してくれるちかすずさんをはじめとした芸妓の方々があげられるのでは。映像作品は人数が増えてもごちゃごちゃ無駄にならないで世界の奥行が増すなあと思いました。舞台だとあの建物から出られず、あの寮と劇場でだけ話が進んでいくので、籠の鳥というか閉塞感が凄い。そこが映像になって料亭や外でのシーンが追加され、緩和されていて、客は多角的に見られるようになったんじゃないかなと思います。

 近藤がのっけから好漢すぎて、最後絶対に裏切るタイプだ!と思って身構えていたら妹まで使って協力してくれて結果ただのすごくいい人でした。濡れ衣すみません。

 

  本公演の方のDVDイベントに行っていなかったので、西園寺・宮沢・村主・若槻が一期生ということはレポでしか知らず、それをきちんと公式設定として可視化してもらえてよかったです。

 キャラの掘り下げという面で、初っ端印象に残ったのが、西条が初めて歌劇団の扉をたたくところ。初期メンバー年下組3人の、お辞儀だけで三者三様の対応がぐっときました。

 後のシーンで男色家の中将に拾われたということがわかる、お辞儀すらせずフランクに挨拶する若槻、そこまで砕けてはいないながらも軍隊式の挨拶ではなく会釈にとどまる村主、きっちり軍隊式のお辞儀をする(西条と同じ所属で上官としてあこがれていた)宮沢。それぞれの人生とスタンスがよく見えました。

 同部署憧れの上官が飛ばされてくるというあそこでやっぱりこの部署は何かあるって宮沢が一番先に思い至ってしまったのではないかな、というのは宮沢びいきによる深読みです(笑)。

 

 映画でも首になったサイトウさんの掘り下げはあまりされず、個人的には尾崎宇崎近衛も新解釈には至りませんでした。安定して見せてくれたとも言えるかな。

 やっぱり尾崎さんは本公演と同じく誰よりもまっすぐに誰よりも純粋で、近衛によって「性的接待部隊」というセンセーショナルな単語をぶち込まれるまで一人だけそのことをかけらも疑っていなくって、硬いものほど折れやすいってこういうことなんだろうなと思ってしまうほど、あの全員集まっての秘密開示のシーンは痛々しい。

 誰もが抱いていた「こんなうまい話あるわけがない」という思いに至らなかった尾崎は、実は誰よりもこの歌劇団がエンターテイメントを提供する営利組織としての力があると信じていた人だったと言えるのではないでしょうか。それだけに一条からの「役者しかできない人は黙っててください」という断罪がきつい。看板役者一条の実力を自分のライバルたる男と認めているからこそ、自分だけが守られていたことに気づいたその心中いかばかりかって感じですね。

 この作品の中で実は一番成長したのは三浦くんよりも尾崎なのかもしれない、と思うくらい感情の揺れが主人公然としている人でした。でも佐伯くん殴るのは許してないよ。

 

  西条西園寺、村主宇崎、西条一条あたりが舞台と比べてさらに側面を見せてくれたり掘り下げてくれたりして興味深かったんですが、わたしのなかで舞台とドッキングさせて一番いろんなことを考えさせてくれた組み合わせは一条宮沢でした。

 ※やっとタイトルに触れる話になるんですけど、先に言っておきますがここからはただのオタクなのでほぼ妄想でありなおかつ歌劇団の抱えている秘密が同性の軍幹部への性的接待ということでヘテロではない解釈を含みます

 

 さて、まず前提としてわたしは個人的にクレジット順で公式が重視したい人物が(劇団内順位・客演・友情出演など諸事情あるにせよ)まあおおよそは把握できるかなと思っています。

 月下本公演も多分に洩れず、主人公三浦くんから、鷲尾さん演じる看板役者で秘密をもともと知っていた数少ない人間のひとり・一条と、大島さん演じる同い年の三浦くんの教育係佐伯と、最初から賑やかに絡んでくるものの後半で敵対勢力の息のかかった人物と知れ、秘密を全員に知らせる役割を持つ、五十嵐さん演じる近衛と…というように人物が展開していくため、劇場支配人兼演出家として出てくる西条を演じる樋口さんは最後としても、他の皆さんのクレジット順もおおむね分かりやすいものになっていました。

 じゃあ、と映画版のクレジットを見返すと、映画版では本公演からかなり時間を巻き戻し、樋口さん演じる西条の入団からはじまる、言わば西条が船をつくり人を選んで乗せ出航するまでの物語なので、まず樋口さんの名前があります。それはいい。次が、西条に代わって汚れ仕事(唯一の枕営業)をたった一人背負うことになった看板俳優一条を演じる鷲尾さん。それもわかる。つぎが、本筋は同じストーリーなのでもちろんキーマンになってくる三浦くんを演じる校條さん。ここまでは予想通り。

 長々と何を言いたいのかと言うと、この次に名を連ねるのが宮沢理一を演じた谷佳樹さん、というのがこの映画の深読みしてもいい部分なのではという話なんですね。

 本当にめちゃくちゃ深読みというかただのキャラ読みなんですけど。

 

  舞台版で一番衝撃的だった台詞と言えば、映画でも出てくる「性的接待部隊」だと思うんですが、映画だと個人的にはその真偽も含め「俺、男の方が好きなんで(うろ)」でした(ここのシーンから、一条→西条説を散見してるんですが、わたしはこの好意については否定派です)

 西条と同じ秘密を載せた船に乗ったのは最初は一条と西園寺だけ。近衛という実は異分子だった男によって全員にそのセンセーショナルな目的が晒されたとき、全員が詳しくは知らなかったというリアクションをとった。

 でもそれがすべて真実だとは限らないんじゃないだろうかと思ったのは、この映画の中で一番一条の心を動かしたかもしれないシーンです。

 歌劇団の初舞台を踏むことに珍しく緊張の色を見せる一条に、「お前なら大丈夫だよ」と言うのは他の誰でもない宮沢なんですよね。なんでそんなこと言えるんだよ、と軽く混ぜっ返すのに対して、真摯な声で「見てたから」と早朝・深夜の自主練習を知られていたことが告げられた一条の顔が印象に残ってる。完全に不意をつかれた顔でした。鷲尾さんのそういう、人が言ったことに対するリアクションの演じかたがすごーく素敵だと思うんですが、その真骨頂というか。 

 驚きつつも、「なんだよ声かけろよ」となんでもなさそうに笑い直した一条に、宮沢は「見ていたかったんだよ」と更に重ねます。言外に、一条昇には才能がある、役者として看板張って食っていけるということを伝えたかったんじゃないだろうかと思いました。

 で、ここで表情に出すほど一条が驚いた要因は、気づかれていた練習の時間帯にあったのではないでしょうか。

 消灯時間の練習は、誰にも気づかれていないはずだった。

 つまり消灯時間の一条の動向が、一条のあずかり知らぬところで気にされていたということで、西条や若槻と接待の食事に行ったまま一条だけ帰らない夜があったことも、もしかしたら早朝に帰ってくる一条の姿も、宮沢理一は目にしていた可能性が高いということです。

 気づいているともいないとも言えない身で、「見ていたかったんだよ」の一言で宮沢が一条にしてあげたかったのは、「役者になりたい」という一条の夢の背中を押すことだったのかもしれません。

 あとこの役者になりたいという夢のはなしをわたしは劇中で一条の口から聞いた記憶がないのですが、もしかしたら彼が「理一」と唯一名前で呼ぶ宮沢にだけ打ち明けたただ1つの秘密だったのかな(言ってたらすみません)。(追記:初っ端の自己紹介で言っていました。大変失礼しました……!)巷に流布している(?)宮沢教育係説、わたしは自信を持って支持していきたい…!

 そしてこれはもう本当に憶測の域を出ませんが、他の面々もいるなか、尾崎に問い詰められた場で宮沢が「察してはいたけど詳しくは…」と答えたのは、もし自分が知っていたと答えた場合の、隠し通せていたと思っていたであろう一条の心境を慮ったものだったんじゃないかな。どんな思いで一条がひとり背負っていたのか、その悲壮な覚悟を踏みにじらずにいてくれたのだと思っています。谷さんの宮沢は、見ている限り温厚で、冷静で、でもノリがよくって意外とガサツなところもあるけど人に対する濃やかさをもつ、笑顔が素敵な凛とした好青年でした。その彼が、一条が三浦宮沢佐伯に教えているところに突っかかってくる尾崎に対しものすごく険しい表情を浮かべていた次期センター争奪関連の稽古シーン、とてつもなく印象に残りましたし、もしかしたらもうあの時点で、何もできない自身へのわだかまり含めて「役者しかできない人は黙っててください」という思いを一条よりも先に抱いていたのかもと思いました。

 ということでわたしは、宮沢理一は一条昇と歌劇団が抱えていた秘密を知っていたと考えます。

 本公演でしか見られなかったけど、あの「っしゃあ!」と一条の背中を叩いて振り返らずに歩いていく宮沢は、きっといろいろなことを言葉では伝えずとも、これからも看板役者・一条昇のよりどころたる男なんだろうな、と感じました。

 

 交錯する好意については、下世話かなあと思いつつ、すこしだけ勘ぐらせてください。

 第四の男から看板俳優への好意の根拠はやっぱり見つかりませんでしたが、その逆の根拠はいくつも深読みできてしまったので(新入りが来るたびに冗談めかして好みか訊く・枕に選ばれないように中心に選ばせないなど細心の注意を払う・他)、公式から不意に答えが投じられる日が来るまでは勝手に思い込んでいたいなあと。

 答えがこない限りはシュレーディンガーの猫だと思っているので、あそこで彼が上官を遮って枕に行った理由が、上官を慕っていたからであれ、上官を慕う責任感の強い誰かさんに知られたら誰かさんが俺が行くと言い出しかねないのを未然に防ごうとしたからであれ、それぞれの解釈でいいのではないでしょうか。そして答えがこないことが答えでもあるのかなと都合のいい解釈をしています。

 個人的には、本公演では『ノクターン』の「♪はじまりから気づいてた 君を好きになること(を) その仕草視線を交わすときに」で視線を交わし、映画ではノクターンがBGMに流れるその歌詞のパートで視線を交わしてダンス稽古をし、『星ノヰリコチ』がBGMに流れれば「♪いつも隣に君がいた」で2人が抜かれ、最後の公演シーンで『星ノヰリコチ』を歌うときは(抜かれないながら)同じその歌詞の斉唱パートで隣に立って肩を組み、2人の歌うパートは「君を追って未来へと歩き出す/立ち上がるよ何度でも」というコンビが見られたので、特別な好意の有無ではなく、ふたりが揃っていればきっとこれからも最強でいてくれるのだと信じられる気がしています。

 劇中歌CDが欲しくなったので次回公演「あまつきつねの鬼灯」物販で手に入れてしまおうと思います。アフターケアが万全ですね。

 

 最後の勘繰りが蛇足とはなりましたが、そういったこと含めて、考える余地をおおく与えてくれた素敵な映画でした。