スケート靴を脱ぐまえに

舞台・スケート・他 備忘録ポエム >₍ᐢ. ̫ .ᐢ₎

小塚崇彦というスケーターを好きだった話〜スケートファンってなんだろう

  うじうじぐだぐだ、今後言わないためにアイタタタな文を書くことにしました。完全なる自己満足です。

 

 フィギュアスケートがすきだ。いま日本が強いスポーツとして、自分が大好きなスポーツの名前がすぐに挙がるのは幸せなことだと思っている。

 世界広しといえどひときわ強い、目覚ましい活躍の日本男子特別強化選手たち。華々しいからこそ、出場枠をめぐる国内での争いもまた苛烈だ。

 まだまだ世界で戦えるレベルの選手でも、それぞれの理由をもって引退していく。

 今年もまたひとりがコンペのリンクを去ることを表明した。今日のことだ。

 彼に関しては、いつも辛口毒舌評価の解説者・千鶴先生による、4CC(13-14シーズン、JSports放送)での紹介が忘れられない。

小塚崇彦24歳、沢山の人に愛されてきた選手です。

 きっともう世間からは、ああまだいたのね、というくらいの認識なのかもしれないと思うけれど、この言葉通り、たくさんのひとにとても愛された選手だった。

 

 本題に入る前に、長い思い出話を。

 今シーズンは、突然降って湧いたような、ファンのわたしとしてはプレゼントのような、ご褒美のような、ボーナスステージのようなシーズンだったように思う。1年前の2014-15シーズン、このひとはもうやめてしまうかもしれない、と思いながらGPS*1を応援した。先天性の股関節疾患*2に加えて足首、背中、腰など、満身創痍で臨み、それでも常に自分のメンタルのせいにし続けていた。なにも言い訳をせず、あまり報道もされなかった。4Tをまともにおりるところがついに見られず、ボロボロのプロトコルを見ながら泣いた。凄まじいまでのスケーティングの美しさには磨きがかかっていたから、そのぶん余計に悲しかったことを覚えている。

 そのボロボロのGPSの中で、最後に彼が言った言葉が「全日本では必ず帰ってくるので、待っててください」。試合後のインタビューでまっすぐ前を見つめて、いつもの早口で言い切っていた。

 その言葉を勝手に信じて待ち続け、迎えた12月26日、SP*3はやはりかなりギリギリの出来だった。嫌な心臓の締めつけが忘れられない。

 翌、12月27日。言わずもがなのあの背水の陣での攻め過ぎたくらいのプログラム構成と、見たことのないほどのガッツポーズと、信夫先生の笑顔と涙ぐんだ表情はきっと一生忘れられない、と思う。あれほど、信じていられなかった自分を責めたことはない。いや別に彼にとってわたしが信じようが信じまいがそんなことは結果には何の関係もないのだけど。でも、インタビューでの自分の答えに忠実に、「帰って」きてくれたのがただただ嬉しかったし、ちゃんとできる人だと信じていればよかったと思ったし、信じていたたくさんのたかひこさんファンのみなさまに顔向けできないなと思ってしまった。

 その後の世界選手権でもユニバーシアードでも捗々しい成績は出せなかったものの、間違いなく小塚崇彦の復活であり、同時に華々しいラストをも感じさせる緊張感を孕んで、14-15シーズンは幕を閉じた。「やめられない本当の理由が出来た。」世界選手権後の言葉は嘘ではないと思ったけれど、でももしかしたらこのままやめてしまうかもしれない、とも覚悟した。

 そして運命の6月15日。なんのことはない平日が、「GPSアサイン発表」というイベントにより現地のジュネーブよりも日本のTwitterのTLを賑わわせていた。見返したらかなり感情的で恥ずかしいツイートをしていたけど、あの時の感情の揺さぶられ方を覚えておきたいので引用する。

まって

まっ

TakahikoKOZUKA (JPN) 

たかひここづか 間違いじゃない……

まだわからないけど、わからないけど!実際に10月あたりに引退表明する選手もたくさんいるし、実際にたくさん見てきたけど!でもまたコンペの氷の上に戻ってきてくれてありがとう、あの緊張感のなかでタカヒココヅカ、ジャパンのコールを聞く幸せをありがとう まおさんのアサインと合わせて号泣

嗣彦先生がスケートが嫌で仕方なかったというのを知っているからこそ、スケートが大好きで、先天性疾患があってもスケートを諦めないでいてくれる小塚崇彦というひとを応援できる幸せがどんなに運の良いことか噛み締めている スケートが大好きなあなたでいてくれてありがとうという気持ち

コンペで滑るスケートを好きでいてくれてありがとう ショーのたかひこさんも勿論素敵だと思っているけど、やっぱりわたしは日本代表・小塚崇彦が好きで、氷の音をさせずに滑るたかひこさんが好きで、コンペなのにコンペであることを一瞬忘れさせるあのスケートが好きなのだ…(;_;)

 こんなやばめツイートをしていたわたしが浮かないくらいには、TLがお祭りだった。

 

 1戦目、GPS中国大会を欠場。アサインした大会には必ず出続けていた彼にとって初めてのことだった。きっと腰も足も、ほんとうに限界だったのだろうと思う。この人、好調なシーズンはもちろんのこと、不調でもずっとずっとコンペのリンクに立ち続けていたのだ、と今更ながらに気づいた。

予定していた試合を棄権するのは僕のスケート人生上初めてで、今までどんな状況でも出場してきたので、とても残念です。*4

 2戦目、GPSロシア大会では、やはりうっとりするスケーティングに、しかし着氷がついていけていなかった。

「その燃えるものが僕にはもう全日本しかないのかなと思っていて」「スケートを現役で続けているっていうのは全日本選手権っていうのがまあ一つのターゲットというか、燃えるもの、自分が戦うべきものだと思ってやってるんじゃないかな」と、12月のフィギュアスケートTVインタビューで答えていた。怪我なく真駒内にたどり着いてくれればそれで十分だと思った。

 全日本を終え、シーズンを締めくくってもなお、3日連続でスケートリンクに遊びに行っていた。フィギュアスケートがほんとに好きだねとご両親に苦笑されたというエピソードを不意に思い出した。

 ここまでが思い出話。

 

 つい3ヶ月くらい前に、心揺さぶられるブログを拝読した。

 WaT解散について綴られたこのブログは、1800人のファンの前で、2月のさようならの予告をしたふたりのことを、悲しくも素敵に「美しかった」と表現なさっていた。ただ、何よりもわたしに刺さったのはここだ。

 

ファンって何なんだろう、って思うんですよ。どんなに好きでも、どんなに彼らに好きだって言っても、大好きだよ、WaTが大好きだよって言っても、彼らの決断を変えることはできなくて。馬鹿みたいだ。勝手に好きになって、勝手に深入りして、勝手に追いかけて、勝手に待って、そして置いていかれる。わたしの青春をすべてさらって、たくさんの思い出をつれてきて、その思い出ごと、わたしを置いていく。

ファンって何なんだろう - 世界の中心はここだ

 

 これを読んであろうことか、でも羨ましい、と思った。ジャニヲタの方々には殴られても文句は言えない。文句は言えないが、あんまり殴られたくもないけど。

 アイドル(や若手俳優)を応援しているひとたちよりも、スケーターを応援しているわたしは無力だ。これは僻みとかではなくて、単なる貢献度の問題として。

 アイドルのつよさのバロメーターに、ファンの多さ、その声援の大きさ、端的に言えば集まるお金は含まれるが、競技スケーターのそれにわたしたちはなんの関与もできない。貢献もできない。だから、めちゃくちゃ羨ましい。

 声援がそのまま、発揮できる力になるタイプの選手ならギリギリ貢献していると言えるかもしれない、というか言いたい。わかる。でも、それすらも強さを表す指標そのものには特に関係がない。競技スケーターという存在には、彼ら・彼女らが演技で出す点数以外につよさの値がないからだ。

 どんなに人気があっても、点数を出し、ポイントを積み重ね、枠を勝ち取り、世界ランクを駆け上がらなければ、出場機会はなくなる。そのために彼ら・彼女らが降りられるジャンプとこなせるステップやスピン、それらに対応するTES(技術点)・GOE(出来栄え点)・PCS(演技構成点)にわたしたちは関与できない(してはならない、とも個人的には思います)。

 小塚崇彦という現役スケーターにできることは、実際のところは何もなかった。ファンってなんだろうと、どこかでずっと思っていた気がする。

 ファンのことを無下に扱うという人では決してなかった(ファンから送られてきた大量の年賀状には毎年手ずから印刷して年賀状を返している)が、別段声援に力をもらう選手でもない。「集中しているときは声援が聞こえない」「頭のどこかでぼんやり歓声が聞こえるくらいが調子がいい」と言う選手だった。

 気持ち悪いおたくの戯言だけど、微々たるもので構わないから、このひとの強さを示す何かの一部にずっとなりたかった。

 

 では本当に、存在丸ごと無駄だったのか。ここまでだらだら書いてきたことを覆すようだけど、そうではない、と思う。思いたい。確かに彼らの強さにわたしたちはなんら貢献できる要素がない。でも、競技を続けるというモチベーションのなかに、もしかしたらわたしたちは数mgでも存在できたかもしれない。

 スケートを続けるかも迷ったほどの無気力状態で臨んだという、ソチ代表落選後の4CC、その台湾の地で、ショートプログラム、難しい7拍子でもピタリと合った手拍子。翌日、フリースケーティングでの挽回を信じ、また、やめないでという無言の叫びを込めて、ホームではない海外の会場いっぱいを埋め尽くした無数の「崇彦」バナー。2014全日本、6分間練習とスターティング前の、たかちゃんがんば、という大きな歓声。2015世界選手権で投げ入れられた夥しい皿と馬のぬいぐるみ。2015全日本、転倒した3Aに降りかかる無数の「がんば」、ステップ前に静まり返ったあの会場。

 全部無駄だっただろうか?

 これだけはきっと一生わからないし、フラットに見ることもできないだろう。ただ、いまでは、彼の邪魔でない存在だったら幸せだなと思う。


 応援「させてもらって」きた。どんな選手の出るどの試合でもスケートを見るのは楽しいけれど、彼の出る試合は特に見ていて幸せだった。勝手に不安で不安で胃がぎりぎりしたけれど、どんなにジャンプが入らなくても、美しいスケーティングが世界一好きだった。点数に傾きは関係ないのに、魔法のように倒れるイーグルが好きだった。

 あの独特のピリピリとした空気の中での吸い付くスケーティングは、コンペティションで見るからこそ一層の輝きを放っていたのに、ショーからも遠ざかるなんて。

 もちろんセカンドキャリアを全力で応援する。婚約した彼女とようやくご結婚されたこの人のこれからを、こころから祝福する。

 わたしは、たくさんのファンの方と同じくこれからも、どんな道を歩むのであれ、スケートのことが大好きなこの人の大ファンだ。そのうえで言いたい。

 小塚崇彦という現役スケーターが好きだ。これからもずっと。

 

 

 2017年2月追記

 2月1日付でNumberさんにインタビュー記事が掲載され、スケーターとしての公の活動を今後再開されることが発表されました。朝からタイムラインが嬉し泣きの渦で、わたしも例外でなく読みながらぼろぼろ泣きました。

  http://number.bunshun.jp/articles/-/827355

 それに伴い新たなオフィシャルサイトが開設(http://takahiko-k.com)、アスリート委員としての活動も幅広くなり、ますます露出の機会も増えてきそうな気配です。目一杯のおかえりなさいとありがとうを、隅っこから念じ続けたいと思います。

 そして2月27日は小塚崇彦さんの28歳のお誕生日。お誕生日おめでとうございます、生まれてきてくださって、スケートと出会ってくださってありがとう。

 フィギュアスケートが好きな小塚崇彦さんのことが、これからも大好きです。

*1:ISUグランプリシリーズ」。国際スケート連盟(ISU)が承認するフィギュアスケートのシリーズ戦。前年度の成績などにより出場資格を満たした選手たちが出場する、それぞれアメリカ、カナダ、中国、フランス、ロシア、日本で開催される6大会と、6大会の上位選手が出場するグランプリファイナルを含めた総称。ISUグランプリシリーズ - Wikipedia より

*2:臼蓋形成不全

ameblo.jp

*3:ショートプログラム。現在の全日本選手権ではこれで24位以上の選手のみFSに進める。

*4:小塚崇彦 オフィシャルWEBサイト | フィギュアスケート: 中国杯について